| < 代表者のプロフィール > |
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氏 名 |
:三 上 哲 治 [ mikami tetsuji ] |
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生 年 月 日 |
:昭和32年4月28日生まれ 血液型:O型 星座:牡牛座 |
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出 生 地 |
:青森県五所川原市脇元(旧:北津軽郡市浦村) |
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出 身 校 |
:日本工業大学 工学部 建築学科 (一級建築士ではない) |
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趣 味 |
:ドライブ(愛車:Ferrari Testarossa))/温泉(露天風呂)/ダイビング |
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好きな 建築家 |
:ル・コルビジェ/フランクロイド・ライト/ミース・F・ローエ/吉村順三 等 |
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好きな 食べ物 |
:お寿司/お刺身/パスタ/カレーライス/アンコウ鍋/十三湖のシジミ汁 |
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座 右 の 銘 |
:「一人に可能なことは 万人に可能であることを常に信じている。」 ガンジー |
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尊敬する人物 |
:三上善作&サキ&正治(父と母と兄) |
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| < 代表者の主な経歴 > |
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■1957年04月28日(誕生日)
青森県北津軽郡市浦村脇元に6人兄弟の次男(末っ子)として生まれる。 2歳の頃、薪ストーブに突っ込み、両手に大やけどを負う。
5歳の頃、日本海で海水浴中に溺れ、意識不明。奇跡の生還となる。 |
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■1970年03月(12歳)
市浦村立脇元小学校卒業。 6年生で児童会長 野球部(投手)
小学校時代の忘れられない恩師 「近藤芳夫先生」 |
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■1973年03月(15歳)
市浦村立市浦中学校卒業。
3年生で生徒会長 野球部(投手) 3年間寮生活を送る(名称:青雲寮)
中学校時代の忘れられない恩師 「松木光太郎先生」・「成田知子先生」 |
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■1976年03月(18歳)
青森県立青森工業高等学校建築課卒業 バレー部 3年生まで、建築課1組の組長。 3年間下宿生活を送る。3年生の時、日本建築学会主催『北国の住まい』設計コンペ一等入選
高校時代の忘れられない恩師 「若松陽一先生」 |
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■1980年03月(22歳)
日本工業大学工学部建築学科卒業 4年間の自炊生活を送る。3年生の時、借りた車で正面衝突事故(加害者)。3人に重軽傷を負わす。『姉夫婦の家』・『親戚の寿司や』などの実施設計を経験(現在も稼働中)
大学時代の忘れられない恩師 「宮坂修吉先生」 |
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■1980年04月(23歳)
株式会社想都市設計事務所入社
同期入社3名。そのうち1名(小久保道男)は、現弊社取締役設計部長 |
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■1980年06月(23歳)
結婚 (金欠病のため、結婚式・披露宴・新婚旅行無し)
住まいは、大学時代から借りている築30年の木造アパート・6畳一間 (汲み取り共同便所・風呂無) 家賃12000円(消費税無し?)
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■1980年07月(23歳)
株式会社想都市設計事務所倒産 同期入社メンバー全員「難民」になる。 東京建築企画事務所に拾われ入社。その後 (株)伸企画設計研究所出向 |
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■1981年12月(24歳)
東京建築企画事務所退社 大学後輩の小泉広美君と独立準備開始 |
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■1982年07月(25歳)
株式会社日本企画設計研究所設立 資本金200万円 |
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■1983年07月(26歳)
最愛の父、善作 永眠 享年72歳
最後の最後まで、変わり者で社会に協調性のない、じょっぱりの 「末っ子哲治」の将来を心配しながらの永眠だったという。 「地球が丸い」ことを実感させられないまま、亡くなったことを悔やんでいる。 |
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■1984年04月(27歳)
株式会社ジャパン企画設計に 社名変更 |
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■1987年04月(30歳)
有限会社アイ・コーポレーション 設立 (主に賃貸不動産仲介・管理)
主に、ジャパン企画設計に、設計監理を発注したお客様に対して、完成後の建物を対象とした、テナントの斡旋、賃貸募集、家賃保証、不動産管理などのサポートを目的として設立された。 |
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■1992年07月(35歳)
最愛の兄、正治 永眠 享年53歳
出稼ぎ一つで兄が一家の生計を支え、弟哲治の学費を捻出してくれた。 世界一勤勉で働き者の兄だった。弟の「お金が貯まったら、兄貴をハワイに連れて行ってあげるよ!」が実現できなかったことを悔やんでいる。 |
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■1994年04月(37歳)
ヌードルジャパン株式会社 設立 (レストランの経営)
店名:レストラン「TALACO」 (スープパスタのお店) 東京都港区六本木にOPEN 1年余りで「閉店」 |
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■1997年07月(40歳)
東京都大田区池上に、郷土青森のホタテや魚などを「テーブル焼き」で食べる、120席の大型店「海の家たらこ」OPEN 4年で閉店。飲食店経営の問題点と新たなテーマを発見する。
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■1999年07月(42歳)
東京麻布ライオンズクラブに入会 奉仕活動に参加。 |
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■2001年10月(44歳)
念願だった地元市浦村脇元に、弊社設計監理の『特別養護老人 ホームすわん』が完成。地元市浦村での仕事で、ちょっとした達成感」を味わうことになる。 |
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■2002年03月(44歳)
地元近郊、西津軽郡森田村に、弊社設計監理の『知的障害者更生施設 月見野園』が完成。地元青森での仕事に結構満足する。 |
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■2003年05月(46歳)
東京国税局査察部(マルサ)の強制捜査を受ける。身に覚えのない「疑い」をかけられ、国家権力との壮絶な戦いが始まる。国民として、現代社会における国家権力及び公務員の醜さと、情けないくらいの「腐敗の実態」を知る。(当HPにて、生々しい体験レポートを掲載する予定)
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■2004年1月(47歳)
最愛の母サキ逝去。享年91歳。47歳で両親と兄を失うこととなる。
エンドレスな「競争社会」から足を洗い、心身ともに健康的な生活を取り戻すため、数年前から悩んでいた「田舎暮らし計画」プロジェクトを実現すべく行動に移る。今更ながら禁煙開始。 |
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■2005年05月(48歳)
これまでに5年がかりで、四国・伊豆・伊東・山梨・軽井沢・福島などに、合計約12万坪の土地(山林)を取得。土地ころがしで利益を得られるような土地ではないが、「自然との共生」をテーマにした子供達のための「林間学校」や「田舎暮らし」計画の候補地として期待している。
健康診断の結果、高脂結症・動脈硬化・高血圧・慢性腎炎など、ガタガタ。薬漬け&病院通いが始まる。 |
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■2007年7月(50歳)
ライオンズクラブ国際協会 330A地区 3Rー2Z 東京麻布ライオンズクラブ 第45代会長 就任
年に一度行われるクラブの旅行例会は、「会長のふるさと探訪」をテーマに、故郷青森県の 十和田湖→ねぶたの里→五所川原「立ねぶた館」→太宰治の生家「斜陽館」→三上哲治の実家「海の家」(^-^; などを視察。 |
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■2008年10月(51歳)
「100年に一度」と言われる、未曾有の「世界的な金融危機」を迎える真っ最中に、東京都大田区久が原に弊社「社屋」を新築して移転。住宅街のど真ん中に、「田舎暮らし&リゾート感覚」をテーマにしたデザインとなった。
同時に、公私ともに親交の深い、村上博之氏を役員として迎え、100年に一度の「不況」に立ち向かうことになる。 |
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